2023年5月2日 攝氏9℃
北海道小樽市稻穗2丁目 晴天
重森ㄚ被來小樽最推薦的私房景點非「手宮公園」莫屬,它位在小樽的高點,手宮公園櫻與海-北海道駱駝能俯瞰整個海岸線與遠方連綿山脈,來訪時遇見櫻花盛開的模樣,徐徐微風吹拂飄落下的粉紅花瓣浪漫又療癒。
依依不捨的離開這一次來小樽的最主要景點,徒步下山約10分鐘,就來到位於小樽市綜合博物館旁邊的巴士站牌。
剛到站牌不久巴士就來,重森ㄚ被很遺憾沒有時間留下來參觀,不過旅行也是隨緣,留下遺憾或許有下次見面的機會!
在手宮站牌搭3小樽市內本線到花園公路通,12分鐘(9 個停靠站)就抵達花園公路通。
小樽市綜合博物館
手宮綫 (日語:/手宮線/てみやせん Temiya sen)是日本國鐵營運的連接北海道小樽市南小樽站和同市手宮站的貨運鐵路綫 。
最初是北海道第一條鐵路官營幌內鐵道的一部分。手宮綫曾是繁忙的貨運鐵路綫,主要運送煤炭和海產品,但由於鐵路貨運衰落,於1985年11月5日廢綫 。
舊手宮鐵道設施(現為小樽市綜合博物館的本館)是國家指定的重要文化財。鐵軌被保存作為日本遺產「炭鐵港」的一部分,也用於步行活動和觀光。
北海道
鐵道發祥驛
北海道の鉄道発祥地 手宮駅である その由来は明治六年に北海道開拓長官黒田清隆が幌内煤田採掘の計画の下に技師を派遣して調査研究させた結果に基づきまづ幌内幌向太間は鉄道を建設し幌向太からは石狩川を船で川口に下り小樽に運送する計画を樹てた事に始まる 明治十二年三月に線路の測量が開始されたが偶々冬季河水の凍結石炭積替の手数等のため不利であるとの意見が出で鉄路により直接小樽港手宮に運送する事が最も有利であると認められ幌内手宮間五十六哩の一部手宮札幌間の鉄道が敷設される事となった 明治十三年十一月十八日逐に手宮軽川間が開通し列車は弁慶号機関車をもって運転された ついで同月二十四日に札幌まで開通し更に明治十五年末に札幌幌内間が竣工しここに手宮幌内間が全通した 以後鉄道は逐次延長されて今日の発展を見たのである その第一歩はまさしく手宮駅からであって北海道の鉄道発祥地と称する所以である しかるにこの由緒深い手宮駅の旅客取扱が太平洋戦争酣の昭和十八年十月に国策によって廃止された 以来市民は尠からず不便を感じてゐたが二十年八月終戦を迎へると共にこれが復活の声は油然と起った ここにおいて有志は手宮駅旅客取扱復活期成同盟会を結成し会長に西富士松を推して運輸当局に復活請願を続け幾多の紆余曲折を経て二十三年十一月十日に列車は漸く南小樽駅まで復活した やがて乗換のための不便が頗る多く重ねて直通列車運転を要路に懇請した結果二十四年九月から岩見沢駅まで二往復の直通列車の運転を見るに至ったのである これを機会に手宮駅の由来に併せて長年月に亘り献身的の努力を尽した西会長の偉大な効績を勒し碑を建立して記念とする
平塚常次郎 書
昭和二十四年十一月十八日 建之
手宮驛旅客取扱復活期成同盟會
第三十六代手宮驛長 古畠芳太郎撰
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